障がい者と聞いて、皆さんはどんなイメージを連想されるでしょうか?
頑張っている人、かわいそうな人、・・・・・、
様々なイメージを連想される方がいらっしゃるかと思いますが、そのほとんどが
『障がいがあると言うこと』=マイナスなイメージ
としてとらえる方のほうが多いのではないでしょうか?
一昔前と比べると、障がいのある人を取り巻いている環境や状況は大きく変わり進歩を遂げました。
パラリンピックなど報道によるテレビ番組、または新聞記事で、障がいのある人に関する話題を目にする機会も、今日普通となってきています。
しかし、日常生活上、同じ学校や職場の人間関係、または友人の間で、障がいのある人が実際いて、生活上普通にいつも共に暮らしているという方は、どうでしょうか? きっとまだまだ、少ないのではないでしょうか?
今日でもなお、社会的な環境整備や、福祉制度が立ち後れてしまっているために、障がいのある人の社会参加や社会進出が阻害されている場面が、世の中には数多く存在しています。
それらは、障がいや何らかの病気がある人の可能性を奪うだけではなく、『人間として普通に人生を送る』という「当たり前の権利」すらも否定され、かけがえのない人生の営みを殺されてしまう、という許されない現実を生んでもいます。
昔は、バリアフリー、などという言葉はありませんでした。
バリアの無いように、などと言うと非常に特別なことを要求しているかのごとく、毛嫌いされるのが普通でもありました。
また、障がい者であると言うだけで、施設でしか暮らすことが出来ず、一生をただただ施設で終えることしかできなかった時代も長らくの間ありました。
こういった悲しい時代のイメージや、障がいのある人に日頃抱いてしまっているある種の間違った固定概念が無意識のうちに連動してしまい、前述の『マイナスイメージ』が構成される要因の一つとなってしまっていると私は考えています。
しかし、それは大きな間違いです。
環境も社会も、全ては『人』が創り出しているものです。
昔と比べると障がい者を取り巻く環境は進歩してきています。
しかし今日においても社会環境面や日常生活上必要な福祉制度もまだまだ不十分で、真のノーマライゼーション社会は遠く、その道のりは、道半ばであるといえます。
私たちは、障がいや病気を取り巻く様々な問題、環境、日々の妨げになっている全ての問題を、当事者の意志決定のもと、主体的に『解決』していくことを目的とした活動と運動を展開しています。
福祉や支援は、誰かにやって貰うものではありません。
誰かが解決してくれる問題でもありません。
自分たちの力で解決する必要があります。
「どんな障がいや病気があっても無くても同じ人間。
お互いがかけがえのない一人の人間として尊重し合い、
力を合わせながら人生を輝かせて生きていける社会」
そんな「真のノーマライゼーション社会を目指して」、
わたしたちは活動と各種支援事業に積極的に取り組んで参ります。
私たちと一緒に活動をしませんか?
私たちと共に働きませんか?
明日を築く活動に『あなたの力』をお貸しください。
私たちは、戦います。
すべての問題と、偏見を無くしていくために。
皆様方のご賛同とご協力をお待ちしております。